ドラゴンクエスト ユア・ストーリーは言うほどクソ映画じゃないよという話


 あちこちで色々語られている映画ドラクエことドラゴンクエスト ユア・ストーリー。大体真正面から口汚く罵っているか、丁寧な口調で「死ねどす」とdisっているかで、基本クソ映画扱い。こんなんに1900円と2時間かけるのはもったいないなどと言われているのがほとんどだ。確かにこの映画ドラクエは、今のアラフォーを中心に日本中で流行った国民的RPGの映画化作品としては確実に失敗作で、当時の思い出を傷つけられたと憤慨する人が多いのもごもっともだと思う。
 ただ、それでも自分は「やべぇなこの映画」と真夏の映画館で寒気すら感じながら楽しめてしまったのだ。自分は決してクソ映画好きではないし、ドラクエ5も一度クリアした後に子供時代に何とかしてゲマをぶっ殺してぇと主人公とボロンゴのレベルをカンストさせてゲマと戦うも自動回復の壁を破れずに涙した程度には思い入れもある。そんな自分が映画ドラクエをそれなりに楽しめてしまった理由を文章にしてみる価値はあるのでは?と、遅ればせながら感想を書いてみる次第。
 以下はガッツリネタバレもあるので注意。

 映画ドラクエを未見の方向けに、先にこの作品最大のギミックのネタばらしをしておく。この映画はドラクエ5というゲームの物語を映画化した作品ではなく、「ドラクエ5を元にVRゲームとして再構成されたゲームを遊んでいる人のプレイ動画」である。……気付いたら階段を降りてたポルナレフみたいな顔をされてるかもしれないが、事実なんだから仕方がない。ラスボスはミルドラース……と思いきや、ミルドラースのデータに仕込まれたウイルスで、このゲームの世界を破壊しようとするウイルスからゲームの世界を守ることになる。これらがラスト10分、これからクライマックスだ!という段階で提示されるのだから混乱することこの上ない。

 さて、この映画は全編を通して、ドラクエ5というゲームの映画化作品としては雑な作りになっている。ドラクエ5はスーファミのソフトなのに冒頭で登場するファミコン風の演出、最初にかかる原作音楽が5の曲じゃない、原作にない「クエストを達成」とかいう謎の概念が出てくるなど、ドラクエ5を忠実に再現しようとした作品にしては違和感を覚える点が多い。さらには、妖精の国への道がロボットの敵に守られていると聞かされた主人公の「妖精の国にロボットって似合わない」という発言に対して「そんなん知らん。今回はそうなっとるんじゃ」などとメタい発言まで繰り出されている。個人的にこの辺の雑さは、雑な仕事の結果としての雑さではなく、観客がラストのオチを受けて「ああ!」となるための意図的な綻びだと思っている。
 この映画はドラクエ5を元にVRゲームとして再構成されたゲームを、佐藤健に声がめちゃくちゃ似ている誰かがプレイしている動画なのだ。そりゃドラクエ5そっくりそのままなわけはないし、レトロゲームが雑な移植をされたりコレジャナイ何かになることもままあることだ。前述の「雑さ」はその範疇内の雑さだと自分は感じるし、むしろそれらは「この作品はドラクエ5の物語を映画化した作品だ」と思って観ている観客に違和感を覚えさせるために用意された伏線だろう。

 しかし本作が「プレイ動画」だということを理解までは出来ても、それをすんなり受け入れられないところに本作の最大の問題点がある。プレイ動画だと観客に暴露するラスボスの言うことが、「お前らいい年してゲームなんかやってんじゃないよ」と電源を抜きに来る昭和のおじさん、おばさんそのものなのだ。ギリ20年前までならそういう意見にもそれなりに同調する人がいたかもしれない。ただこの映画が公開された令和元年は、50を過ぎたおじさんも普通に電車の中でスマホゲーをやっている時代なのだ。100歩譲って引きこもり廃プレイヤーに対してならばその発言も許されるかもしれないが、普通にスーツ着て仕事している佐藤健ボイスの趣味:ゲームな成人男性に対して吐かれるセリフとしては時代錯誤としか言いようがない。ラスボスの行動原理が意味不明すぎたが故にプレイ動画オチを受け入れるための脳内リソースが不足して、結果として伏線が伏線として機能せずただの粗に見えてしまった人が多いのではないだろうか。ラスボスの行動原理がもっと別の、例えば子供のときの発売当時、ドラクエ5をプレイできずに疎外感を味わったことからの復讐とかであれば、オチに嫌悪感を持つ人は少なくはないだろうが、もうちょっと違う評価になったのではないかなぁと思わなくもない。ラスボスの行動原理に関してはどう頑張っても擁護しようのないダメポイントだ。

 因みにラスボスを倒す剣がロトの剣であることにも批判があるようだが、個人的にあの剣はロトの剣であることに意味があると思っている。ドラクエ5の主人公は勇者ではないため天空の剣を持つことは出来ない。自分は世界を救う存在ではない。しかしドラゴンクエスト ユア・ストーリーの主人公たるプレイヤーの大多数は、過去にロトの剣を持った、自分と同じ名前の勇者で世界を救っているはずなのだ。原作のミルドラースではない本作のラスボスを倒す武器は、天空の剣ではなくロトの剣のほうが相応しいのではないかと、自分は思う。

 ドラゴンクエスト ユア・ストーリーはクソ映画だ、ドラクエ5の思い出を汚された、馬鹿にされたと観た人がぶち切れるのも仕方のない作品だ。が本作は、ただ単にゲームを映画化することに意味はないと思っていた監督が、映画化するに足るネタを思いついたのでそれ用にしっかり作りこんだけれども、ゲームに対する認識に観客との間に決定的な齟齬があり、結果炎上してしまった作品だと思う。実はVRでしたーというネタは今日日そう珍しいものでもない。しかしそんなネタをドラクエという国民的コンテンツで、事前にそういったことを一切におわせずにやってしまったという事実に、スタッフロールを見ながら背筋をぞくぞくさせられた自分のような人間もいたというお話。


 しかし観た直後だと「やばい」しか言えないですよこんな作品。みんなクソクソ言ってるから観に行かなくていいかなーと思ってるあなた、一応自分の目で確かめてきてはいかがでしょう。夏休みだし。